第4回:私のフリースクール生き残り戦略——決して諦めない

教え子が同僚となって子どもたちを支えるチームの力と「決して諦めない」姿勢を表現した教室のイメージ画像
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教え子たちが同僚に

これまで滝野川高等学院の軌跡を書いてきましたが、当然ながら私1人でやってきたことではありません。私1人ならとっくに自分自身が潰れていたでしょうし、とっくにスクールを潰してしまっていたでしょう。それを支えてくれた仲間のおかげで今の滝野川高等学院は存在しています。なかでも3名の常勤スタッフはフリースクールにお金がなかった頃には、想像を絶する薄給で働いてくれ、今では私の右腕、いやそれ以上の活躍をしてくれています。その3人はなんと私の高校教員時代の教え子です。

私は2011年から2017年まで三重県のとある私立高校で教員をしていました。その高校には中学校時代に不登校だった生徒、発達障害の生徒、いわゆる素行不良の生徒、軽度の知的・身体障害がある生徒など、多様な生徒がいました。3人はそれぞれ2011年、2014年、2015年に入学してきた生徒で、中学時代には学校に行けなかった元不登校の生徒です。私は担任として、部活動の顧問として、進路指導主事として、3人に深く関わっていました。そんな彼らも成長し、大学に行き、大学院に行き、いつしか私の元に戻ってきてくれました。そして滝野川高等学院を支える主力の教員になってくれました。今では3人ともが修士号を取り、そのうち2人は大学院の後期博士課程に進学し、不登校研究の発展に寄与する立派な研究者の卵となっています。これに対しても万感の思いです。

私はもともと歴史学の研究者を目指していましたが、努力不足、実力不足から夢を断念して修士課程修了と同時に高校教員になった過去があります。そんな私の教え子から博士課程に進むような生徒が出るとは思いもしませんでした。それだけでも嬉しいことですが、私と一緒に働いてくれるなんて感激です。私は近年、直接生徒の指導をすることがほとんどなくなり、経営者として日々、組織をいかに安定的に経営していくか、集客はどうするか、資金調達はどうするか、などに頭を悩ませ、勤務時間中はほとんどの時間でパソコンのモニタの前にいてキーボードを叩いています。

ふと画面から目を離して、子どもたちのほうを見るとかつての教え子が、先生として子どもたちに勉強を教えています。私はまだ38歳なのに、その光景を見ているとき、孫がいるお爺ちゃんのような気分になります。すごく微笑ましくて、誇らしくて、愛しい気持ちになります。私は3人の教え子たちに教員としてできる全てを注いできたつもりですが、そこで売った小さな恩はとうに返し終えられて、今では彼らに借りばかりとなっています。これからもさらに借りが増え続けたら、そのとき私はどうやってそれを返していけばいいでしょうか。おそらく一生返し終わることはないでしょう。

決して諦めない

サポート校、フリースクール、学習塾と手広くやってきましたが、それぞれは見通しが甘かったり、思い付きで作ったりと完璧なものなど、何一つとしてありませんでした。でもそれが今ではパズルのピースのように一つずつはまっていって、いつしか連動し、躍動しています。しかし結果が出るには時間がかかり、どこかでは無理をする必要があります。滝野川高等学院が設立したのと同時期にいくつかのフリースクールが各地に設立されました。しかしそのほとんどは今では閉校してしまって、インターネットの中にわずかにその活動の痕跡が残るばかりです。でも、そこには確かに子どもたちが存在していたのです。

私は思います。「子どもの居場所」を作るなら、少なくとも子どもたちにとってそこが必要なくなるまで居場所であり続ける必要があるのではないかと。学校に行けなくて苦しい子どもがやっとのことで見つけて、やっとのことで定着した居場所がなくなったら、子どもたちは、親御さんたちはどんな気持ちになるのか、支援者は考えてほしいです。今の日本では、子どもの居場所を作るのに資格は要りません。元手をそんなにかけなくてもアパート一室にも居場所は作れます。しかし作るのが簡単なものは、往々にして壊すのも簡単です。日夜、新たな場所が生まれ、消えていく。でも子どもたちが次の場所を簡単に探せるとは思わないでほしいです。だからフリースクール、サポート校、子ども食堂など、様々な居場所を作った大人たちはそこを潰さないために必死になってほしいです。

ここまで5年やってきて、私がたどり着いた「生き残り戦略」は、とにかく子どものニーズを拾うことです。「こういうコンセプトのものを作りたい」という創設者の理想が先行して、それに合わない生徒を遠ざけてしまっては本末転倒だと感じます。あくまでも居場所の主体は子どもたちであり、子どもたちがこういうことがしたいというものが優先されるほうが、健全な居場所の在り方ではないでしょうか。私たちは子どもたちのニーズを拾い続けた結果、ごちゃ混ぜになってしまいましたが、おかげでたくさんの幅広い個性を持つ子どもたちを受け入れ、次のステージに送り出すことができました。そこは誇りに思っています。

2024年3月、新たな教室ができました。原点回帰、そこにはサポート校の生徒が希望進路に向けて集中して勉強ができる環境が整っています。スタッフも素晴らしい12名がいて、さらに今年中に3人増やす予定です。小学生たちはもっと自由に、中学生たちはもっと幅広く、高校生たちはもっと集中して、将来を見据えられる場所になっていくんじゃないかと、楽しみにしています。

そういえば東京都教育庁の方と話していて知ったのですが、2024年現在の滝野川高等学院はどうやら東京都内で5番目に生徒数の多いフリースクールとのことです。聞いた瞬間は耳を疑いました。夜中のビル群の工事現場に立っている4年前の私にこのことを教えたら、おそらく信じないでしょうね。人生何があるか、本当に分からないものです。


本記事は『季刊 居場所研究』第1巻第1号(居場所研究会発行)より、著者の許可を得て転載しています。

▶ 第1回から読む:「私のフリースクール生き残り戦略(1)上京から絶体絶命、そして一筋の光」

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