何者にもなれない気がする|20代で焦る自分を追い詰めなくていい理由

大学キャンパスの階段に座り、空を見上げる19歳の女性

SNSを開くと、同い年の誰かが起業してる。フォロワーが何万人もいる同世代がいる。留学して、インターンして、資格を取って。みんなどんどん「何者か」になっていくのに、自分だけ何にもなれてない気がする。何かしなきゃって焦るのに、何をすればいいかがわからない。動けないまま時間だけが過ぎて、焦りだけが積み重なっていく。夜に一人でスマホを閉じたあと、ため息が出る。——でもね、「何者にもなれない」と感じてるのは、君だけじゃないよ。そしてその焦りの正体を知れば、少し肩の力が抜けるかもしれない。

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「何者にもなれない」は脳が作り出す幻想

まず知ってほしいのは、「何者かにならなきゃ」というプレッシャーの多くはSNSが生み出してるということ。

ペンシルベニア大学の研究(2018年)では、SNSの使用時間を1日30分に制限したグループは、制限しなかったグループと比較して孤独感と抑うつ感が有意に減少したことが報告されている。つまり、SNSを見れば見るほど「自分はダメだ」と感じやすくなる。しかもSNSに流れてくるのは他人のハイライトだけだ。失敗も迷いも寝不足も全部カットされた、編集済みの人生。それと自分の”未編集の日常”を比べたら、そりゃ落ち込むに決まってる。500人以上の成功者を研究した人物は、人生の目標についてこう述べている。

「私が研究した人々のうち、百人中九十八人はこれといった人生の目標をもっていなかった」

つまり、何者かになっているように見える人だって、実は大多数が目標なんて明確に持てていない。「何者にもなれない」と感じるのは、君が遅れてるからじゃなくて、そもそもほとんどの人がまだ途中なんだよ。

焦りの正体は「比較」と「時間の感覚」

「何者にもなれない」という焦りを分解すると、二つの要素が見えてくる。一つは他人との比較。もう一つは「もう遅い」という時間への焦りだ。心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した「社会的比較理論」によると、人間は自分の能力や状況を評価するとき、無意識に周囲の人間と比べる習性がある。しかもSNS時代は比較対象が爆発的に増えた。昔は教室の30人が比較相手だったのに、今はスマホを開けば何万人もの同世代が見える。

図書館でノートパソコンを閉じ、窓の外を見つめる女性

比較すればするほど、自分の位置がわからなくなるのは当然だ。しかも比較の相手は、自分と境遇が似ている人じゃなくて、キラキラした”上澄み”ばかり。公平な比較なんて、最初から成り立っていないんだ。そして「もう20代なのに何も成し遂げていない」という感覚。でもこれも思い込みだ。内閣府の調査(2019年)によると、日本の若者は他国と比べて「自分に満足している」割合が著しく低い。これは能力の問題じゃなくて、社会の空気が自己評価を押し下げてるんだ。「まだ足りない」「もっと頑張らなきゃ」って空気の中にいたら、自分を認められなくなるのは当たり前だよ。

「何者かになる」前に知っておきたいこと

ここで大事な視点がある。成功者の研究を長年続けた書物にはこう書かれている。

「忍耐力の欠如は、失敗の最大の原因のひとつである」

これ、裏を返すと「今すぐ結果が出なくても、それは失敗じゃない」ということでもある。何者かになった人たちだって、20代前半で完成していたわけじゃない。目の前の霧が晴れないまま、それでも歩き続けた先に、少しずつ形が見えてきた。アンジェラ・ダックワースのGRIT研究でも、成功を予測する最大の因子は才能ではなく「やり抜く力」だった。今、何者にもなれていなくても、それはまだ種をまいている最中かもしれない。芽が出る前に畑を捨てたら、何も育たない。20代前半なんて、まだ土を耕してるところだ。それなのに収穫がないと焦るのは、時間の感覚がズレてるだけだよ。もう一つ、成功者たちの研究にはこんな言葉もある。

「待っていても時期はやってはこない。今すぐ立ち上がり、そして、できることからはじめるのだ」

これは「すべてを完璧に準備してからじゃないと動けない」と思っている人への強いメッセージだ。大きなことをする必要はない。完璧な答えも要らない。今日、ほんの一つだけ小さく動く。それが「何者か」への第一歩になる。

「何者か」は肩書きじゃなくて姿勢のこと

「何者かになる」って、起業家になることでもフォロワーを増やすことでもない。目の前の人を大切にしている人。自分なりに考えて一歩を踏み出した人。昨日より少しだけ成長しようとしている人。それはもう十分に「何者か」だと思う。

朝の公園で深呼吸をしながら穏やかな表情を見せる女性

リクルートマネジメントソリューションズの調査(2023年)でも、若手社員が仕事にやりがいを感じるポイントは「年収」や「肩書き」ではなく、「自分の成長を実感できること」と「周囲から感謝されること」が上位に挙がっている。つまり、世間が言う「何者か」と、自分が満たされる「何者か」はまったく別物なんだ。他人の基準で自分を測って苦しくなるなら、まず自分にとっての「何者」を小さく言語化してみることから始めてみよう。それは「優しい人」でもいいし、「ちゃんと考えられる人」でもいい。派手じゃなくていい。地味でも、それが本物なら十分なんだ。


言語化ワーク

  1. 今、誰かの「何者か」を見て焦ってる?その人の何がうらやましい?
  2. もし肩書きもフォロワー数もなかったら、自分はどんな人でありたい?
  3. 昨日と比べて、今日ほんの少しでもできたことは何?

「何者にもなれない」と感じる夜に、一人で自分を追い詰めなくていい。桜花ライフアカデミーには、同じように迷いながらも歩き出そうとしている同世代の仲間がいる。まだ何者かじゃなくていい。一緒に「何者か」を探していける場所がここにあるよ。

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